第四章 1.東京へ
東京暮らしは、半分家出で実現しました。
最初の住処は沼袋という駅から歩いて約8分の所。
西武線の小さな駅でしたが、高田馬場にも近く、あらゆる種類の商店が立ち並んでいました。
おいしい和菓子屋さん、駅前には西武ストア、信じられないほど安くて栄養のバランスも良かった小さな食堂、パチンコ屋さん、お風呂屋さん、本屋もありました。
居酒屋もおいしい寿司屋も楽器、古本屋、ブティック、それにディスカウントショップなどがずらりと並んでいました。
青梅街道を横切ると国際大学があり、その置くの静かな道筋をしばらく歩くと、やっと私のアパートがありました。
よくテレビのドラマに出てくるような6畳1間に3畳ほどのお台所が玄関のトイレの脇にありました。
お風呂もプラスティック製の青い色のタブが小さな洗面台と一緒についていました。
私の部屋はベットと小さなサイドを置くともう何も置けませんでした。
テレビのない生活を3年間しました。
娘の上京は三月の末でした。
それまで暮らしたアパートを出て自分のアパートを目と鼻のさきに見つけました。
中野区江古田の町は高校の水泳部の先輩や同級生が住んでいた町でした。沼袋の駅から少々歩くのですが、このあたりはよくこれほどうまく土地利用してアパートを造ったものだと頭が下がるほど賃貸アパートが並んでいます。
古い木造の建物でした。
6畳の部屋にお風呂と3畳の台所がついていました。
玄関の脇にトイレがあって壁は塗壁でした。静かで暖かい部屋でした。
南向きのベランダからはすぐ前にあるお屋敷の銀杏の木が見えました。小鳥の声がしました。私はその銀杏の木をながめながら、人生の不思議さをよく感じていました。まるでドラマの主人公のように思えました。
部屋にあるのはテープデッキとマットのベッド、背の低いベンチボード、小さな机、ファックスのみでした。